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    The HARVEST and DIGESTS on All-Ranged Juice--part 1

    AT.:OEVRES DE DESCARTES, publiées par Charles ADAM & Paul TANNERY,
    nouvelle édition, J.VRIN, Paris,1996.
     
    ...(頁、行)
    E.:TOKORO,Takefumi 《LES TEXTES DES 〈MEDITATIONES〉》,Chuo University Press,1994.
      
    ...(頁、行)
      cf.所 雄章 訳「省察」(『方法序説/省察』所収、白水社、1991)
      
    ...(7=「読者への序言」、A,B,C...=段落、1,2,3...=文、01,02,03...=節)

    The HARVEST and DIGESTS(part 1) on ALL-RANGED JUICE
    要点と結論(序を兼ねて)--其の壱
      本論文は、デカルト(DESCARTES,Rene)による『省察』の「読者への序言 PRAEFATIO AD LECTOREM」を扱うにあたって、同じくデカルトの「幾何学」から得たことを応用したものであり、三つの段階から成る。第一段階(§§701- 709)においては、「読者への序言」の各段落(ADAM & TANNERY版に準拠)を分解したのち、三重構造として再編成した。第二段階(§§711-713)では、かの三重構造を保ちながら数段落を連結したと ころ、三つの組になった。すなわち、最初の段落から最後の段落まで3種類(計9通り)の仕方で至ることができた、ということである。さらに第三段階(§§ 721-723)では、「読者への序言」の全段落を連結したので、三本一組の筋になった。

      以上の作業を経たところ、三つの要点が得られたので、まずはそれらを挙げておく。

      第一の要点は、次のとおりである。
      すなわち、はたして「私」が納得したその「同じ根拠 によって」(7.G105:AT.VII,10.12-13/E.P06.18-19)、「他の人たちをもまた納得させることができる」のか (7.G107:AT.VII,10.13-14/E.P06.20-21)、ということである。
    というのも、二つの問題、すなわち「神と人間的精神とについての問題」(7.A101:AT.VII,07.01/E.P01.04-06)を説明するために「私」が辿る道は「一般に使用されていると ころからはあまりにも隔たっている」(7.A302:AT.VII,07.09-10/E.P01.14-15)からである。

      とはいえ、まず「第一点」として(7.C101:AT.VII,07.20/E.P02.13)、「私が認識する」とこ ろによれば、思惟する事物であることの「ほかには何も私の本質に属さない」のである(7.C302:AT.VII,08.13-14/E.P03.07- 09)。つまり、思惟するのは、ほかならぬ「私」なのだ。その一方で、その「ほかのものすべて」は、「‘ただ~のみ'(tantum)という語」によって 「排除」される(7.C105:AT.VII,08.03-04/E.P02.18-19)。だからこそ、「人間としての精神」がみずからのほうへと振り向いて 「知得だか知覚だかをする」のは、すなわち、「みずから」が「思惟する事物であるということ」にほかならない(7.C102:AT.VII,07.20- 08.01/E.P02.13-15)。

      つぎに「もう一つの点」として(7.D101:AT.VII,08.16/E.P03.11)、「私」より完全な事物の 「観念によって表象され再現されたものが実在すること」(7.D104:AT.VII,08.18-19/E.P03.14-15)について、「そうした 事物が実際に」真なる事物として「実在すること」は「帰結する」(7.D402:AT.VII,08.26-27/E.P04.02-03)のだが、そのように「答える」のは 「私」である(7.D200:AT.VII,08.19/E.P03.16)。すなわち、必ずしも「私」ではない、というよりもむしろ、決して「私」ではない事物こそが、私より完全なのである。何せ、「観念という語」(7.D200:AT.VII,08.20/E.P03.17)が質料性とは「反対に」受け取られる場合には(7.D304:AT.VII,08.22/E.P03.20)、「私より完全であること」は、事物「みずからの本質」で「理由」づけられれば、「可能」となる(7.D307:AT.VII,08.24-25/E.P03.23-24)。

      したがって、もし「私の根拠」を「知解」すれば(7.E202:AT.VII,09.03/E.P04.12)、「真で堅固な」(7.E207:AT.VII,09.06/E.P04.17)「反駁」を、諸々の意見に対して(7.E209:AT.VII, 09.07/E.P04.18)おこなうことができるはずだ。しかも、それが「緊要であるか、もしくは答弁に値する」ようなこととして、「容易に」起こる (7.F502:AT.VII,10.04-05/E.P06.07-09)かもしれない。その場合には、「この著作を」読んで「大きな成果」を「収める」ように(7.F406:AT.VII,10.01-02/E.P06.04-05)なったということだろう。
      このよ うに「本気で私とともに省察すること」(7.F302:AT.VII,09.25/E.P05.18-19)の「できるように」なる人々には、「そしてまた」省察しようという「意志をもつようになる」(7.F305:AT.VII,09.26-27/E.P05.21)人々には、「ごく僅か」しか「遭遇」しない(7.F306:AT.VII,09.27-28/E.P05.22-23)が、そのような人々のことを、「充分に」「知っている」のが「私」 (ibid.)である。

      だから、「私」は、べつに「公の拍手喝采」を期待することもない(7.F201:AT.VII,09.22-23/E.P05.15)。

      さて一方で、『理性を正しく導きつつ、諸々の学問において真理を探究するための方法についての叙説』(7.A101: AT.VII,07.02-03/E.P01.06-09)を「1637年に」「フランス語で出版」するという(7.A102:AT.VII,07.03 -04/E.P01.09)打診でもって「私」は「ただ」、読者といわば「協議」のようなことをしたにすぎないが(7.A104:AT.VII,07.05- 06/E.P01.11-13)、「その後でそれら」の問題を「どんな理由で取り扱うのか」、ということを「私」は「読者の判断から学び足す」ことができた (ibid.)。
      のみならず、たとえ「印刷に委ねられる以前」のものであっても(7.G203:AT.VII, 10.16-17/E.P06.24-P07.01)、「気持ち ingenio」においても「教養 doctorinâ」においても「卓越して」いる(7.G201:AT.VII,10.15-16/E.P06.21-23)彼らのもとにあるのが、「これら‘省察’」(7.G202:AT.VII,10.16/E.P06.23-24)である。

      他方、そうした‘省察’が彼ら以外の「いかなる人」にとっても「容易ではない」ことは、「私が敢えて望むところであった」(7.G302:AT.VII,10.18-19/E.P07.03-04)。

      「今」のところ「人様の判断を一度はなんとか見聞きすることでもって経験する」のが「私」だが(7.F101:AT.VII,09.19- 20/E.P05.09-11)、神と人間的精神という、あの二つの「問題について、私が触れていたものにおいて」なされた「反論」は、残念ながら、「留意」には値しなかった(7.B201:AT.VII,07.16-17/E.P02.08-10)。
    ここでは「私はただ一般的に云うだけにする」 (7.E301:AT.VII,09.08-09/E.P04.20-21)が、どうせ、「私の根拠の連鎖と脈絡とを把握することに気を配らない」 (7.F402:AT.VII,09.29-30/E.P05.24-P06.02)ほどに「気持ち ingenia」が「虚弱」なうちは、いくら「信じ」たところで、その道に「みずから進み行くこと」は「できない」(7.A304:AT.VII, 07.12-13/E.P02.02-04)」はずだし、所詮、‘無神論者たち’の言い分の「すべて」(7.E301:AT.VII, 09.09/E.P04.20-21)が「常に依存している」(7.E303:AT.VII,09.11/E.P04.23)のは、あくまで、「神が為すことのできる」のは、そしてまた神が「為さねばならない」のは「いったい何」なの「か」(7.E306:AT.VII,09.13/E.P05.02- 03)、ということに対してであろう。

    presented by K.-m. as the SHYNAMITES.
    初出:"What a cool believes"(blog),Apr.15,2007.

    * 語句を一部、訂正致しました(2009/9/11-13)。

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